しろくまが好き。

感性で書く。

何か書きたい。

 

と思っていた、いつかのブログ。

書きかけのブログが下書きにたくさん貯まっていたので、放出してみる。

 

 

 

 

 

 

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衝動的に訪れる、"何か書きたい"瞬間。

 

言葉にならない言葉の卵たちが、頭の中を蠢いている。

 

はやくはやく、言葉にしなきゃ。

…そう焦っても、言葉は生まれるものではない。

 

自分に向き合って、言葉の卵たちの声に耳を傾けて、自分の行動を反省して、考え、思い巡らし、やっと言葉になる瞬間。

 

気づくと落ちてくるときもあるけれど、気づくと落ちてくる言葉も、落ちてきてほしいといつかの私が考えた言葉の卵。

 

言葉の卵たちが言葉になる瞬間、私は落ち着きと安心を得るのだ、きっと。

 

そして書き留めたくなる。

それからブログを開いて、思うように書く。

表現が気に入るまで、悩み、気に入れば公開する。

 

公開して、あとは、そのまま。

 

言葉の卵たちが言葉になる瞬間、そしてそれを表現する時間が、私の落ち着きであり、安心なのだと、これを書きながら確認する。

 

でも、今日はまだどこか落ち着かない。

 

ブログを書いているとなぜか、親指に思考力があるのではないかと思う。

何かを考えている頭ではないから。

 

何も考えていないのに、親指が勝手に文字を打ち出している感覚。

 

不思議だけど、言いたいことはこれでもない。

 

最近ずっとこれだ。

 

言葉にならない、もどかしい。言葉が埋もれている。言葉を求めている。言葉、コトバ、ことば…

 

バクが夢を食べるように、私は言葉を食べているんだ。

言葉を食べて、言葉を理解し、言葉を発するんだ。

 

声に出さなきゃ、言葉は溜まっていく。

 

本を読む気が起きないのもそういうことで、今は言葉がもうたくさん溢れているんだ。その中にまた言葉を詰め込んでも仕方ない。言葉を、吐き出したい。

 

でも言葉にするって難しい。

 

何かから生まれた私の考えたちは、私の中でしか通じない神経のようなもので繋がっているのだけど、それを言葉にするには翻訳作業が必要なのだ。

 

でも考えても考えても翻訳作業が、追いつかないどころか、私の考えたちの方向性すら掴めない。せめて問題提起さえしてくれれば、解決の糸口を見つけようとなんとか動き出せるのに。

 

課題解決の最初の一歩は問題発見だ…

課題が見つかれば解決したようなものだみたいなこと言うけど本当にその通りだ。私の課題はまずどこなのだ。

表面的にしか思い付かない。

 

 

表面といえば、

表面ばっかり取り繕って、きれいに見える鉄壁を作り上げている気がする。

でも、人間てそんなもんじゃないか、という自分もいる。

 

そういえば、思い出したけど。

表とか裏とかいう人がいるけれど、そもそもその考えた方自体好きじゃない。

いい面が表で、悪い面が裏。決めつけたかのように、表裏をつける。

 

でもコミュニケーションって、相手との対話で、人やコミュニティが変われば対応が変わると思う。

 

あるコミュニティAでのある人の対応を見た別のコミュニティBの人が、AとBの対応が違うと言って、表だとか裏だとか。

 

普段の対応だって、こっちではツッコミだけど向こうではボケ、みたいなのあるじゃん。それだよ。それでしかないよ。どうして対応が違うと変、みたいな感じ方されるのか。

 

要するに、表裏なんかなくて、相手との関係性や相手のキャパで自分が話す内容や幅も変わるんじゃないかなあって。

 

初対面の人に悪いところ見せる人はいないでしょ。関係の深まりとそういうのは比例する。

 

でもなんでも見せられるのが深い関係とも限らなくて、親しき中にも礼儀ありみたいなもので、深い関係だからこそ言わない方がいいことってあって。ただ、なんでも見せる=深い関係っていう方程式のせいで、深い関係なのに聞かれて言えないことがあると、謎の罪悪感を感じるのだ。正確には、言えないことじゃなくて、言わない方がよいこと、だろうけど。

関係維持には必要なんだけどね。

 

罪悪感が積み重なって、これは本当の自分なのか、って思い始める。

全部本当の自分なのに。

 

これが鉄壁の正体。

 

塗り固められた壁で四方を覆った人は、どこへ向かうのだろう。

本当はすごく最低な自分を偽りながら生きてどうするんだろう。

最低でも、それでもいいよって、そんなわけないのにね。

1つだけいいよがあれば、人生やっていけそうだけどね。

 

いいよと大丈夫は際限なく人間を救う言葉に見える。

 

丸ごとすっぽり覆われても苦しくないお布団がほしい。お布団に潜り込むとすぐ息苦しくなってしまうからさ。潜り込みけど。

 

あとはね、過去ってなんで今に続いているんだろうね、っていう話。

 

今は今でも、過去があると今は今じゃなくなるんだよ、往々にして、今も過去になってしまう。

今は今なのに、今でしかなくて、今が本物なのに。

過去に支配された魔物はきっと過去から動けないから、過去にいるんだろうけどね。

 

はあ。でもなんかすっきりしない。

 

もうずっとこれだよ本当に、、、

 

何を言っても、何を書いても、何を思いついても、すっきりしないんだよ。なんでだよ。

 

そろそろ言葉の限界??

 

言葉以外に何か、思考の卵を外に出す瞬間を作るべきなのか。

 

こんなに書いても何も晴れないの、ね。

まあ晴れる瞬間は書いている時ではなくて、考えている時なんだけど。

 

やっぱり問題提起もなければ、解決もない。

 

でも今の問題提起が見つからない。

 

しあわせ、と、きれい、と、あたたかい、が交互に浮かんでくる世界。

 

あったかい社会がほしい。

 

心がぽかぽかする社会。

 

冷え切った社会じゃなくて、

暖かい社会がいい。

いがみ合う社会じゃなくて、

助け合う社会がいい。

少ない材料、財産を奪い合う社会じゃなくて、

分け合う社会がいい。

 

理想は理想のままで終わってしまうのか。

夢は夢のままでいいのか。

 

いつからか諦めてしまうようになった大きな夢は、制限という自分で決めた足枷にはまって、抜け出せないのだ。でも自分の足枷なんて、すぐに切ってしまうべきだ。

 

やっぱり何を言ってもすっきりしなかった。

 

言葉を超える存在。探そう。

 

もやもやもや。

 とりあえずきみすいよむ。

涙は感情のリセットボタンだと思うから。一旦0になれば、また100入れられるんだ。当たり前だ。

 

取り止めがないけど、おわり。

 

 

 

伝える

 

今ブログを書いていて、ふと思ったこと。

 

ブログとか、自分の考えを書く、話すときに伝わらないことが多くて、ぬんぬんってしてたんだけど、歩きながら、ぴーんってきた。

 

"感性で書いてるからだ!"

 

こう書くとかっこいいみたいだけど、ちゃんと伝わる、人に向けた文章というのは、論理的に、事実に基づいて書かれているなと。

 

感じたことを言語化しただけで伝わるなんて、私が2人いないと無理だって思った。

 

でもそれはそれできっと私にしかできないことだし、伝わる文章を書く力は必要だけど、伝わらないのは伝わらないで、自分って感じがする。

 

これからも、ブログは感性で書く!(笑)

それなりな不満。

 

授業を受けていて、

ふと思った。

 

"ああ、受身だ"

 

自分で選択した、それなりに面白い授業。

 

いつもふらっと来て、

ふらっと話を聞いて、

少しだけ耳に届いて、

少しだけ心に残って、

ノートを取ってみる、

帰りに板書を撮って、

明日にはリセット!

 

なんとなく何かを得た気になって、

なんとなく満足してる。

 

薄っぺらい満足感をたくさん集めて、満足した気になってる。

 

不満はないのだし、いいではないか。

つまらない授業を受けさせられるよりはるかにいい。

 

まあ、それはそうだけど。

 

"ある程度の不満とか不足感がないと、受身になって堕落するんだな"

 

与えられたものから選択する。

 

受けているのは大学の"授業"なわけで、

それなりに話を聞いていれば、それなりに何か得られる。

 

でもこれって、たなぼたみたいなもんで、偶然引っかかるものがあった、というだけでしかない。

 

本当は求めるものを最大限求める。そのために利用する、というのが大学なんだろうな。

大学に限らずだけど。

 

私の求めるものってなんだろな。

 

今の選択、間違えちゃいけない。

 

ここで求めるか、別で求めるか、両方求めるか。

 

ちゃんと調べて、ちゃんと考えて、後悔しない方を選択しよう。

やってみなくちゃわかんないし。

 

 

 

お子様ランチ

 

自分が与えた情報、

かけた労力、

何らかの行動によって

他人が利益を得ている状態に

なんとなくもやっとしてしまうの

本当に子供だなって思う。

 

裏はまだ白い印刷ミスした紙に

少し丁重にその感情を包んで

捨てる前にぐしゃっとして

ゴミ箱に投げつけたい。

 

捨てたい感情パラダイス。

 

そういうのもまた、子供。

 

消えて、お子様。

最後にお子様ランチでも

奢ってあげるから。

 

小さい頃コーンがいちいち入っているのがあんまり好きじゃなかったけど、よくお子様ランチを食べたデニーズに行こう。

 

大人になりたい。

自分が好きな自分になりたい。

 

大きくなりたいのは

自分が好きな自分。

 

磨きたいのは

自分が好きな自分。

 

守りたいのは

あなたが好きな私、

じゃなくて

自分が好きな自分。

 

でも、

自分が好きな自分を

保ってくれているのは

誰かが好きでいてくれる私。

 

困った矛盾。

 

自分の力で自分のこと好きになりたい。

楽しいこと、愉しいこと

 

さて、ここで問題です。

楽しいと愉しいの違いは何でしょう!

 

 

はい、

時間切れでーす。

 

 

答え

楽しいの意味

ー心がうきうきすること。

 

愉しいの意味

ー心のしこりがとれて、わだかまりがないこと。

 

だそうです。

日本語では厳密な違いはないらしいけど、漢字の語源的にはこんなかんじ、らしい。

 

なんかいつも楽しいこと〜って思ってるし、楽しいことたくさんしてるし、毎日楽しい。

 

だけど私が人生で求めている、求めていきたいのは"楽しい"じゃなくて"愉しい"。きっと。

 

私的解釈では

楽しい=非日常的なたのしさ

愉しい=学業・仕事などから得る、何かを達成した後のたのしさ、喜び

 で。

 

短期的に考えると、

楽しくて日常を充実させたい。

あとは楽しいことだけしていられるのは今だけだな、って夏休み前から思ってたから、今年の夏は全力で遊んだ。遊ぶ。楽しむ。

 

だけどやっぱり人生の中では愉しいって重要で、愉しいがあるかないかで恒常的な満足感とか、人生の充実度って変わると思っていて。

 

つまらない、やりたくない仕事をするのは誰だって嫌なはずだ。

でもそれは目的の時と、手段の時で違う。

ゴールがつまらない、やりたくない仕事は、いつまでたってもつまらないし、きっとつまらない毎日になってしまいそうだし、逆につまらない、やりたくない仕事でもそれが手段で、目的としてやりたくて結果としても愉しい仕事があるなら、みんな辛くても乗り越える。

 

この、後者のような仕事を自分の仕事にしたい。

これはまあある程度みんな持っている考えだとは思うけれども。

 

そのために、何ができるか考える。実行する。それが秋学期の目標。

 

夏遊んだ分、勉強したり、今までやったことないことをやってみたり、うん。

そしてそろそろそれを考え、調べる。

 

今は本当に短期的なことしか考えてなかったので、そろそろ長期的な思考にシフト!

 

今まででよくわかったのは、短期的なことと長期的なこと一緒に考えると人生に絶望しそうになる、ということだったので、落ち着いてどっちかをゆっくり考える。2つも頭の中に考えること入れとくほどキャパがない!!

 

キャパが欲しいとよく思うけど、結局大事なのは自分のキャパを自覚して、うまくやりくりすることだよね。

 

マネジメント能力高めて生きていきます。

 

とりあえず、韓国から帰ってきたらいろいろ調べつつ、9月頭までは全力で遊ぶー*\(^o^)/*

じゅくじゅく

 

・アンテナを常に張ること

・今しか出来ないことをすること

 

モットーです。

 

この2点は、いつも心がけています。

 

アンテナを張る理由は、いろんなものを逃さないため、ですが、私的にはまだあって。

 

唐突ですが私はとても飽きっぽくて、やりたいことしかやりたくない人間なんです。

 

あまりよくない風に思われますが、私は嫌いじゃないです。むしろわかりやすくて好きです。

 

飽きないもの、やりたいと思ったことが本物だって思えるから。

 

課題とかやりたくないことについては、何かやっているうちに楽しいことを探す、もしくは終わったあとのご褒美を想像する、でもそれだと自分のためになるので、他人のためになる理由を探す、人が喜んでくれる、と思うと頑張れるから、そんな感じでやってます。

 

話が逸れましたが、みんなそうだと思うけれど、やっぱり何でも好きになれる訳じゃないでしょう。なんか好きになれないものって絶対ある。でもその中で本当に好きなものは、本物なんだってわかる。

 

人の基準はわからないけれど、私はそれが厳しいというか、好きになるハードルが高いのでは、と勝手に思っています。

 

だから、選択肢は多い方がいい。

 

あとは割と好きなものに固執するタイプなので、それがあると他のものが目に見えなくなったりします。飽きないもの、やりたいことを見つけてしまうと、それだと信じてしまうのです。

 

でも、常に私の周りにはいろいろな物事や情報が溢れ、私が見逃した楽しいことが落っこちているでしょう。

 

それをできるだけ拾いたいのです。

 

だから、アンテナは常に張っているし、何かやりたいことや飽きないものの軸があっても、その分アンテナは張り巡らしておかなければ、と思うのです。

 

今しか出来ないことをする、っていうのは、そのままで、今を大切にしたいからです、今を後悔したくないからです。

 

未来を作れるのは、今だけ。

 

今の積み重ねが未来だから。

 

過去は未来を変えられない。

今は未来を変えられる。

 

未来で後悔しない自分は、今作らなきゃいけないのです。という意味で今を大切にしています。

 

だけど最近アンテナを張りすぎて、キャパがオーバーしようとしています。

 

今、今、今、といって毎月次の月のスケジュールばっかり見ています。

 

どうもモットーに囚われ過ぎてるいたらしいです。

 

でもこれを決めたのは高校生くらいで、どうしても馴染んでいるし、なんとなく手放せない。

 

このモットー自体が、私の飽きないもの、に加入した時点で、私はモットーについてのアンテナももっと張り巡らしておかなければならなかった。ということです。

 

そうすれば、もっと、モットーが充実して、凝り固まることはなかった。

 

だからやっぱり、アンテナはたくさん張っていなきゃいけない。というところで一周してきた。

 

受信装置の拡充と進展が急がれますね。

 

私自身がもっと、大きい受け皿をつくらなければ。

アンテナいくら張っても、受容できぬ。

 

結局、アンテナたくさん張って、たくさん受容しようって話。

 

久々ブログ

おわり。

 

 

 

 

 

 

 

諦める。

 

諦めました。

 

向いてない。

 

人に向けてブログを書こうと思ったけど、やっぱり私の中でブログってそういうものじゃなかった。

 

ただただ思考の整理だったり、

言語化だったり、

自分に対する鼓舞とか、

ただただ言いたいだけで。

 

たくさんの人に見てもらった、

たくさんの人から☆もらった、

人に理解してもらえた、

 

別にどれも嬉しくないなって。

 

きっとブログを書くということ

そこで表現すること

自分を見つめ直すこと

それが好きなんだなと。

 

だから人に向けたブログは

諦めます。

 

向いてない。

 

でも人に伝わる文章を書くことは

大事なことだし、少なくとも伝わるに関することをしたいと思っている以上、それはそれで練習したい。します。