「仕事は8割でいいよ」
最近よく社会人との交流がある。
プログラミングのスクールに通い始めたからだ。
まだただの大学生の私は、
年齢でいえばかなり下だが、
生徒という面では同じ位置にいる。
一緒に授業を受ける機会もあり、
その時に一緒になった方がこんなことを言っていた。
「仕事は8割でいいよ。遅くなったり、求められてるものと違ったら困るから」
その時は、これが大人の処世術なのか、なるほどな、とただ受け止めた。
でも、ずっと引っかかって消えなかった。
期限を守ることも大事だし、12割のものを作っても、締切に間に合わなければ意味がない。たしかに真っ当な意見だ。
求められてるのとは違うというのも、どんなにイメージを聞いたって、違う時は違うし、たしかにな、と思えることだ。
でもなんだか、それが諦めに聞こえて仕方なかった。
8割の仕事が通ってしまったら、それでいいのだろうか。
仕事によってはそれでもいいのかもしれない。
質よりスピードが求められることもきっとあるし、状況によってはいろいろ異なるだろう。
ただ、仕事の姿勢については、8割でいいのか、と問いたい。
これは仕事を8割でやることへの是非ではなく、仕事を8割でやる人になりたいかどうかということだ。
私はなりたくない。
仕事もそこそこ、恋もそこそこ、プライベートの趣味も充実してます💕
そんなOLさん、立派だ。それはそれでいい。それで満足しているのだから。
でも、今これといって趣味のない私が、突然熱狂的な趣味を持つとも考えづらいし、汗をかくことが嫌いな私がやりたがることの範囲はたかがしれている。
どこかで10割、12割を出していかないと、人間すべてが8割になっていく。
その人が何割で生きていようと、私には関係ないが、私は10割で生きていたいし、10割をどこかで出したい。
それを私は仕事に置きたい。
人生きっと自分が10割出せる場所をどこに置くかだ。
仕事に置く人は、仕事で輝く人だし、それ以外に置けば、それ以外で輝くだろう。
諦めなければ。
オール8割はそれはそれで素晴らしいけれど、そこに滲む諦めを、ただ、私が、見たくなかった、それだけのことかもしれない。
バイト先で自分の余裕を失ってまでも懸命にものを作る40~50代の大人を見ているからだろうか。
どっちがかっこいいかは人それぞれだし、なりたいと描く自分も人それぞれだ。
ただ、私は断然後者の方がかっこいいと思ったし、ついて行くとしてもそういう人について行きたいし、自分がなるにしても10割の人になりたい。
諦めた人生は、諦めた分の光しか持たないから。
いつまでも内面から輝く大人になりたい。
人生謳歌した!って死ぬために!(笑)
というただの大学生の戯言。
大人の皆様に見せたら、笑われてしまいそうだし、私が大人になった時にも環境に染まってこんなことを言ってそうで、こわいという気持ちもある。