普遍的な言葉
ある夜のこと。
図書館から督促?催促?の電話(笑)が来て、バイト終わりに本を返してきた。
道が真っ暗で、人も本当にいないし、めっちゃ怖くて、心臓バクバクした。お化け屋敷か。
じゃなくて。
駅に戻ってきて、緊張の糸が切れたんだけど、実はそこは終わりではなくて。
駅だから安全なことは全くなくて。
家に帰るまでが、帰り道。
家だって、100%安全なんてことないんだけど。
この緊張の糸が切れた瞬間に、ふときみすいを思い出した。
きみすい、本当に大好きだなあ。
彼女がねー、彼の行動を変えるところがねぇ。
好きですね。
というのは、まあ置いておいて。
この時物語の中の話を実践的に感じた。
これが理解か、と。
20年生きて、やっと分かった。
こうして知識は血と肉になっていくのだと。
(これは小説だから知識ではないけど)
本って、読んだら終わりじゃなくて、例えば自分が同じような経験をしたり、同じように感じた時に、本当に財産になるものなのだなあと。
もちろんSFみたいなのは体験出来ないけれど。
だから、本をたくさん読むことももちろん大切だけど、自分の行動や感覚を普遍的な言葉で残しておくのも大事だなって。
人と人をつなぐのはやっぱり言葉で、その共通のプラットフォームを持っているから私たちは意思疎通ができる訳で。
誰かが感じたことを表現した言葉を理解するって、やっぱり自分の中にもそう感じた経験がないと難しいと思った。
断片的にすくって分かることは出来るかもしれないけれど。
やっぱり感覚や感情をつないで、共有するのに必要なのは言葉だから。
どんなに月日を共にした人でも、どんなに分かりあってる人でも、やっぱりその人のまるごと全てなんてその人にしか分からないから。
みんなが分かる言葉に出来ないと、結局は何も伝わらないということ。
自分の心を言葉にしたところで、それは伝えた、だけの自己満足。
いつも見合う言葉がないと嘆いているけれど、それはやっぱりなんだか特別感を持たせたくなってしまうからで、その行動に「名前をつける」みたいな唯一感が欲しかっただけで、結局多分何が起きているか、何を感じているか、なんてそこら辺に落ちている言葉で充分事足りるのだろう。
複雑なことを複雑に言うことはただの自己満足だ。
人が理解出来ないことに自分の特別感や唯一感を得るのではなく、伝わらなかったことを恥よ。
何だって、考えて、突き詰めれば、きっと小学生でも分かる言葉で説明出来るはず。
(学術的な話は除く)
まあでも、カタカナ語とか業界用語とか専門用語を使って、一般人が理解出来ないのを嘲笑いながら、自分の特別感を認識して、その場限りの優越感に浸っているなら、それは同じことだろう。
そういうのは結局自分だけじゃなくて、周りも滅ぼしていくんだろう。
伝えることをずっと考えていたけれど、伝わることを考えよう。
時には自分だけで噛み締めたい感情もあるけれど、言葉にして、普遍的なものにしてしまうことを惜しまない。
それよりもっとたくさんのことを言葉にしておきたい。
それで言葉を通じて色々な感覚を吸収したい。
足りない想像力は、実践で補うしかない。
さーて、明日はテスト(´−`) ンー