しろくまが好き。

感性で書く。

他人を通して自分をみる。

 

 

友達とめーーいっぱい話しまくって、

いろいろな出来事が整理された。

 

最近のことから、将来の子供の名前、教育の話…

まだ結婚すらしてないのに、憧れと理想だけは大きくなっている。

 

 

 

人と話すことで、自分の言葉を口に出すことで、自分も自分を理解出来ることを理解した。

そして人の話を聞くことで、自分が理解出来ることも分かった。

 

他人は自分を映す鏡、とよく言うけれど、本当にその通りだ。

 

相手が発したことから、自分が解釈したことは、自分が現在理解出来る範疇のことでしかない。

 

知らないものをすごくうまく説明されても、実物を見たり触れたりしない限り、私たちは自分が知っている別のイメージや言葉でそれを置き換えて記憶することしかない。

 

つまり、理解しているのは言葉そのものであって、見たこともないものは、その名前で覚えておくしかないのだ。

 

他人の思考や発言だって同じ。

 

人は他人の考えの全容を見ることは出来ないし、理解することも出来ない。

赤の他人だから。

 

どんなに考え方が似ていようと、それはお互いが共通している部分が多いだけで、すべてが同じ訳ではない。

むしろそんな人がいたら怖い。

 

だから、他人の中から受け取ったものは、自分の中にもあるもので、それは自分の中にあるから理解出来たことなのだ。

 

他人の中から受け取った知らないものは、新しく私の一部として増えていく。

だから他人と話すことで、視野も世界も広がるのだ。

 

要するに、他人と話していて解釈したこと、興味を持ったこと、理解したこと、反対したこと、それらはすべて私を構成する1要素だ。

 

 

 

いろいろな他者から受け取った自分と共通するピースを、自分の世界にはめ込んでいく。

そういう感じ。

 

いろんな人と話せば、いろんなピースが見つかって、自分の世界のピースも埋まって、自分という人間を理解できる。きっと。

 

 

そして、他人が映す自分は、偽りのない自分だ。

そこには自ずと願望や理想も現れる。

 

普段無理だと決めつけて、大声で言えないような夢も、他人への羨望の底にこっそりと隠れているかもしれないのだ。

 

だからこのピースの扱いには気をつけなければならない。

乱暴に投げ捨てていたら、自分という人間が分からないどころか、ひどくひねくれて理解したり、大きな誤解を生んでしまうかもしれないから。

 

他人に見つけてもらった自分のピースは、丁寧に形を見極めて、自分の世界という型に当てはめていってあげる。

それが自分を理解する近道だと、今の私は思ってます。

 

未来の私はいかがでしょうね。(笑)