結局言いたいことを言う1600字
結局何かと言えば、なんでもないのだろう。
今言いたいことは、たぶん自分の気持ちじゃなくて、誰かへのふわっとした批判か悪口かそんなところだし、もしくは誰かへの無責任な言葉か私の楽観さの披露か、ともかくろくなことにならなそうなので、黙っていようと思っている。
ただ、黙っているのも意外と忍耐力の必要なことで、言いたいことは言いたかったりする。
でもそれでも、それが誰かを傷つけたり、誰かに嫌な思いをさせたり、その場にそぐわなかったり、その先につながらないなら、言う意味はない。
そこでの発言は、ただの発散だ。
だから、やっぱり、発言と発散は区別しなきゃいけないし、発散はうまく消化させるとか、全然違う場所で愚痴ったりするしかない。
こういう区別をわざわざしてる意味って、わざわざそうやって言いたいことを抑える意味って、なんなんだろうと思うと、結局下手に人に嫌われたくない、に帰結してしまうのがわたしの弱いところだと思う。
嫌うなら勝手に嫌ってくれたらいいと思う。
全世界の人に好かれることはできない。
わたしだってすこし話しただけでこの人とは仲良くなれそうにない、と思う人はたくさんいる。
でも、好きな人とか別にどっちでもないなって思ってる人から、わざわざ嫌われる必要はないし、どちらかといえば好かれたい。
なんらかの形でいいと思われたい。
だから、言いたいことを言わないこともあるし、気を遣ったりもするし、いい子もしちゃったりするわけで。
たぶんそれをする方が楽なんだな、と思う。
なにかをして多少疲れるより、誰かに嫌われたんじゃないかと思い悩む方がめんどくさいんだと思う。
結局のところ、なにをするにも選択で、それをしていることが自分の選び取ったことなのだとしたら、誰かに咎められたり非難される点なんてなにもない。
自分がしたいことをしているだけ。
それを他人がとやかく言う方がおかしい。
人を傷つけたり、犯罪を犯しているのなら話は別だけれど。
とにかくなんだかんだ、なんでもなく、何か書きたかっただけだ。
人生ってもっと生きやすいはずなのにな、と思うことが多すぎる。
なんで世間の価値観とかに縛られなきゃいけないんだろうか。
もっと解き放たれたい。
いい学歴だからいい会社に行く必要もないし、いいお給料ももらわなくていい、そこそこな暮らしができていれば問題ない。
わからない将来のことを今から憂いても仕方ないし、リストラされたり会社が倒産したら、コンビニでバイトしたらいいじゃんっていつまでも思ってしまうわたしはたぶん甘ったれなんだろうけど、それくらいの気持ちで生きていきたい。
やっぱりわたしはなにかを変えたいのだと思うし、誰かの背中を押したいのだと思う。
そんな日がやってくるのか全くわからないけれど、そんな日がやってきたらわたしはガッツポーズを決めて喜ぶ気がする。
もっと人生ってハッピーでいいよね。
幸せを振りまいて生きていたいよね。
すごくすごく無駄に苦しんでる人が早く解き放たれてほしい。
人生に必要な苦しみだけ苦しめばいいと思う。
いらない苦しみに無理に苦しんであげる必要はない。
そんなことして喜ぶのは外野だけだって、自分はずっと苦しいよ。
誰に言いたいのかもなんなのかもよくわからないけれど、
よくわからないものに押しつぶされそうな人がみんな、
救われたらいいのにって思う。
そんなのはきれいごとって言われるかな。
それでもいいね。
きれいごとにまみれて生きていきたい。
現実の中のきれいごとが肩身がせまいことが、汚いよね。
きれいごとだっていいじゃん、その隙間だけでもきれいでいさせてよ。
いつも真っ白な心じゃいられないからさ。
こうやって結局言いたいことを言ってしまうわけだね。
あとすこしで1600文字。そんなもんだ。