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しろくまが好き。

感性で書く。

どこかの誰か

 

風が強い。

 

耳にさした新しいイヤフォンから漏れる音をかき消すような風の音。

 

落ち葉をかき集めて、舞い踊らせる。

 

 今日もいつもの道を歩く。

 

リズムに合わせるように、一歩一歩。

耳の中から流れてくる音楽が、私の歩を軽くした。

 

 

正門をくぐると、いつものように階段を登り、教室に向かう。

 

その途中、腰を曲げたおじさんたちが、落ち葉を掃除していた。

 

風が吹いてはそれを邪魔し、

あるいは風を起こす機械で葉っぱを集め、

道を綺麗にしてゆく。

 

 

…掃除をしない、という選択肢もあったはずだ。

 

懸命に掃除をするおじさんたちを横目にみながら、彼らの努力を否定するような思考に辿り着く。

 

なぜ、掃除をするのか。

なぜ、綺麗にするのか。

誰のために、綺麗にするのか。

 

学校としての体裁?

綺麗な校舎を保つ?

教員や学生が生活しやすいため?

…それが仕事だったから?

 

私がわからない理由だってたくさんある。

大人の事情、ってやつかもしれない。

 

理由はなんだっていいんだ。

ただそこに事実があるだけだから。

掃除をしてくれる人がいて、道が綺麗になっているのだ。

 

せっせと掃除をしてくれる人がいるから、私は綺麗な空間で生活できる。

 

また、落ち葉はどこからとも無くやってくるのに。

せっせと集めて、せっせと袋につめる。

いくら集めても飛ばされて、それでもまた集める。

いくらほうきで穿いても、道にはまた落ち葉がたまるのに、際限のない掃除を、せっせと続ける。

 

公共空間を掃除している人を見ると、なぜか胸がぎゅっとなる。

大学の中は違うけれど。

 

高校生の頃、雪が降った日に、駅前の道で雪かきをしていた人が忘れられない。

たしか駅員さんだった気がする。

 

誰に頼まれた訳でもない。

それに対する対価も払われる訳ではない。(もちろん鉄道会社の社員であれば時給は出るであろうが、それは雪かきに対する対価ではない)

それを必要ないとして、暖かい駅員室にいることも出来たはずだ。

直に雪なんて溶けるのだから。

 

だから、もし他にどうしても大事なことがあれば2番手に回されるようなことだけど、必要なことをする人になりたい、ってその時思った。

あとは、誰もやっていないけど必要なことを穴埋められる人にも。

 

他の人がやってることをやっても、仕方ないのだ。

他の人が手が回らないところにいたい。

猫の手…いつも思う。

 

欲を言えば、猫の手も借りたいくらい忙しい時に、人間の手を差し出せる人になりたい。

 

たぶんきっと、これ縁の下の力持ちって言うんだろな。でもあんまり好きな言葉じゃない。笑

 

私はなんの手になれるかな。

猫の手くらいにはなれてるかな。

たまにただじゃれるだけの猫に

なってるけどな。

まあいいか。

楽しければ。

 

人のこと考えて、人のためを思って、でもそれを押し付けがましく言わないで、静かに、自然に、やってのけてしまう人はかっこいいよね、だれでも。

人のために働きたい。うん。

 

あと何に対してもだけど、ひけらかさずに、しれっと、さも当然かのように、行動で示せる人ってめっちゃかっこいいよね。

言葉は時として余計なのだ。

行動だけでかっこいいんだから、自信もって!ってめっちゃブーメラン。笑

 

自信がないと、口だけ達者になる。言い訳ばっかり、悪い癖。

行動で示せる大人になりたい、ならねば!

 

話逸れたけど、落ち葉掃除も雪かきも、そんな職業も役目もないのです。

でもどこかの誰かがやってくれているのです。

 

落ち葉掃除や雪かきだけでなくても、どこかの誰かの行動、仕事、働きかけによって、私たちは日々生活をしているわけです。

 

そのことに感謝をしながら、大人になって、私もまたそのどこかの誰かになりたいと願うのです。

 

お布団の中から、どこかの誰かへの敬意と感謝をここに記させていただきます。

 

 

 

 

 

 

 

あの頃の気持ち。

 
なんていうか、
なんていうんだろう、 
あの頃の気持ちを思い出せないこの感じ。
 
それくらいの気持ちだったのか。
でも確実に何かそれなりの気持ちがあったのは確かで。
私なりに何かしたいことがあったのも確かで。
 
ただ、不明確。
 
ただどこかにモチベーションを置いてきてしまったような気はする。
もしくはやりたいことが変わったのか。
 
どれも正解な気がする。
 
モチベーションはよくわからない。
なくはない、でもふわふわ。
 
やりたいこと、大枠は多分ずっと同じ。
 
望んだことが出来なくても、今いるところは楽しいし、気づけば方向は完全に足元を見ていて、私が望んでいたことは望んでいなかったことになっている。意識したわけでもない、でも環境に飲み込まれている。
いいのか悪いのかはわからない。
でもきっと人はこういうの、挫折って言うんでしょ。
私がそういう風に今までのいろんなことを受け取っていたら、もっと成長できたんじゃないかとか、たらればの話が思いついてしまうけれど、きっとそこに囚われてどこにも行けなくなってたと思う。と言って逃げ。だけどやっぱり心の擁護をしてしまう。
 
新年に自分と向き合うって書いたわたしはどこのわたしだ。
 
わたしvsわたし
 
どっちもがんばれ。  
 
 
微妙にあとなにかある。

わかんない。

でも今日思ったことは

何かを始める時のことで

やっぱり何か始めるなら

わたしはそれにどきどきするくらいの

恋のような気持ちを抱きたいと。

例えば今はわたしはHTMLを書く課題があったり、フォトショの構造を教えてもらったり、来年の選択次第ではデータベースみたいなパソコン使った技術的なこととかを専門に学ぶこともきっとできる。

イラレやフォトショを買ってデザインしてみたいとも思う。出来たらかっこいい、ていうかやりたい。

だけどどっちもその程度なんだって気づいてしまった。

出来たらかっこいいくらいの気持ち。

こんなんではじめても意味ないなって。

技術は持っていたらかっこいいものじゃなくて、使うためにつけるもので、それを使って何をしたいのか、それくらいないとやる意味がないと思った。まずそもそもその程度の気持ちじゃ放って置かれるのも時間の問題って感じ。目先の課題に囚われて、大まかに時間取れないから。

なんとなくの憧れ、じゃいけない。

動機はきちんとなきゃいけない。

純粋にどきどきしちゃうような、

恋みたいな気持ち。

それがきっとわたしの直感で、動機。

 

将来の将来振り返って、あの頃(将来)と同じ気持ちを持ち続けられることを、仕事にしたい。

そのためにできることってなんだろうな。

 

 

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なんていつか思っていたけど、気づいたらイラレ入れてもらってた。

後から読んでみると本当に、どーーしようもないこと考えてんなって感じ。

 

あーだこーだ考える前にやる。

それだけだよ。

大胆に進んでいこうよ。

 

そういえば誰かに、慎重だけどやる時は大胆だよねって言われた。

正直結構嬉しかった(笑)

 

石橋は石で出来てるんやし壊れないやろ、てかまあ壊れて川に落ちたらそれはまあそれで仕方ないよな、それで死んでもそういう人生だったんだな、っていうタイプなので、まあ悪く言えばただの大雑把なのだけど。

 

大胆さと慎重のバランス極めていきたい。

でもとりあえず今はまだとことん大胆でいたい!

壊れた石橋はも飛び越えて行こうぜ!()

2016年→2017年

 

振り返りたかったんだけど、

手帳が行方不明です。つらい。

 

今年の1月なんて何してたんだ…

遊んでテスト勉強はしてなくて専攻の試験やばいやばいやばいとだけいって、そんなにうまく勉強出来なくて、終わった瞬間落ちたと思って泣きそうになったな…

あとあいぼーとに入った。

 

でも本当に大学に入ったらしたいと思ったことをことごとく出来ていない大学生活…

未だに理由は分かってるような、分かってないような。

 

何をもって進んできたのか、私の高校生の頃の夢はなんだったのか。

揺らぐ。

このまま流されてていいのか。

流されたままでいいのか。

何となくで過ごした昨年を反省して、今年は、少しは、考えて行動出来た気がする。

 

2月。

まあ覚えてるのはてんきゅー再演。

結構精神煮詰まってた。気がする。当日は。

あとはバイトを新しく始めた。

 

3月。

旅行、ざだいふ。最初に出てくる思い出サークルなのおもしろいけど、それくらい私の何かを占めているなあ。

 

4月。

見事に記憶がない。

2年生になった、おわり。

 

5月。

パリに行った。

初ヨーロッパ。本当に素敵な国だったし、楽しかったな。

 

6月。

20歳になる。

いろんな人に祝ってもらって幸せでした。

あとはなんかレポートやらで結構追われてたイメージ。

 

7月。

しちがつやー。

相変わらずいろんなものに追われてた。課題レポートテスト。

 

春学期は合計週7+バイト頑張った。語学結構サボった以外はよかった。うん。そのせいで今追われてるんだけど。笑

 

時間とお金にも結構追われてた。バイトしなきゃ、お金ないってなってたなあ。

 

8月。

めいいっぱい遊んだ。

本当に遊び尽くした。

行きたいところにはほとんど全部行った。

一緒に付いてきてくれてありがとうって感じ。

初めて韓国にも行った。俗に言う異文化交流。新しい体験だった。旅行に行きたいというより、世界中の友達が欲しいって初めて思った。

 

9月。

8月同様遊び倒す。

みずきと2人でグアムは感慨深い。

あとはイラレ使い始めた。

 

グアム、結局おばあちゃんがだいぶお小遣いをくれたのだけど、自分のお金で初めて海外に行って、海に入って、お買い物をして。自分でお金を稼いで、自分で使い方を考えて、納得して使う。自分で買ったものって、かなり大切に使えるんだなって思った。むしろそれ以外のものを雑に扱いすぎている。のかもしれない。

だけど、これくらいなら使える、っていうのを考えて、使って、働いて。うーん、やっぱりここでお金の使い方?を学んだ感じはする。

自分で自分のために5万くらいお金を使ったのは初めてだった。というか旅費全部入れたら10万超えてるんだなあ…びっくり。

まあ、あとは日本人いっぱいだったし、日本語みんなしゃべれるし、英語しゃべる場面もみずきに任せっぱなしだったから、今度はちゃんと1人でしゃべれるようになりたい!

 

10月。

矢上祭とカフェ謎。

見事に両立出来ずに死んだ。

あとはなんだろ。

秋だね。秋。

 

11月。

三田祭

ポスター作って、アイドルやって。

楽しかった。うん。楽しかった。なんだかんだ。

あとはユニバース幹部になった。

 

12月。

インターン始めた。

あっという間に。12月。はやい。

振り返り方雑すぎたか。

手帳ないんだもんなあ…つらいわ。

 

多分、思い出したいことしか、思い出してない。

記録はそういう意味で大事。

好きなところだけかじってるだけじゃ生きてはいけない。

 

でもやっぱり、好きなことしたい。

 

2016年は今まで以上に自分に向き合ったかな、と。いいところだけを振り返って生ぬるく語る。

 

本当はもっともっともっと反省して改善すべきところなんて山ほどあって、まだまだまだまだやらなければならないこともたくさんあるんだけど、ただただ流されるだけの去年よりはよかったかな。

 

やっぱり、いろんなことを始めるっていう挑戦が出来たのは、自分を褒めたいところ。

あいぼーと、バイト、デザイン、インターン

めくるめくように環境も変わって、はいないけど、行動範囲は広がった、という程でもないけど、

…何が変わったんだろうな。

 

2016年の目標、変化、に対して、総合してどういう評価を下せば良いのだろう。

 

いろんな理由をつけて、うじうじしてた去年のような自分もいたけど、やっぱり新しいことを始められたっていう成果は評価に値する。環境を変えていくのも変化の一つ。変わろうとした姿勢は認める。

 

ただ、変われたか、と言われるとそうでもない。

どうなりたいかが曖昧だったのは否めないけど、自分がだめだなって思うところはまだ直せてない。

 

自分のだめさを再認識した。

 

挙げるときりがないけど。

そうならないためにどうしたらいいかも考えたけれど、行動もしてみたけど、まだまだ。

 

根本的なものなのかな。

きっと生活を正せってことなんだと思う。

時間がかかるけど、何となくやってれば出来る気はする。

無理だと思っていた貯金がだんだん出来てきたから。

多分やってると、出来てる自分に楽しくなって、調子乗ってくるんだろな。

それがうまく歯車が回ってる時なんだろうな。

そういう日々を過ごしていきたい。

 

やっぱり、前を向いて、なにか出来てる自分ってすごく楽しい。

大きいことでも、小さいことでも。

そういう時はいろんなことがぱたぱたと進んでいく。毎日をそういう日にしたい。する。

 

2017年。続:変化、かな。

今ここで変化のゴールを決めたので、毎日進む。自分の好きな自分になるのがゴール。でもぜんぶはきっと達成出来ないし、人生もやることあんまりなくなっちゃうから、一つだけでも自分の嫌いなところ無くなったらいいな、と思う。欠点消し消し。

 

あとは、就職も考えないといけない。

 

やりたいことの中核は今年で多分完全に決まったのだけど、それをどこでだったら出来るのか、知識が足りない。

 

まあ知識は補えるからいいね。

何とか考えて、見つけよう。

あとは視野を狭めすぎない。

 

それからもう一つ大きな2017年の目標としては、周りのことを考える。

 

今年あまりにも自分のことを考え過ぎてしまったので、もう少し周りのことを考えようと。

 

意識を少しずつ外に持っていく。

 

客観的に自分のこと見れるようにもなりたい。それはまた違う話か。

 

コミュニケーションうまくなりたい。

人によっていろいろ違うし、テクニックというより、心の持ちよう。

コミュニケーションは相手が主体っていうところをもっと意識したい。

 

今までは自分ありきの相手だったから。

相手第一の姿勢でいたい。

 

一歩引いた大人。大人になりたい。

 

なんか支離滅裂だけど、今の率直な感想。

 

学生生活、どう使うか。

本気で考えていかなきゃ。

時間は限りあるし、あれもこれも出来るわけじゃない。

 

嫌いなものをする必要もないし、

好きなことならたくさん挑めばいい。

 

やりたくないことをやること。

それが何かやりたいことのためならいいんだ。

だけどつまんないプライドとかそんなもののために、やりたくないことはしない。

 

やりたくないことしても、なにか学びがあるならいい。

何か得られるなら、それはそれでいい。成功でも失敗でも、結果があればいい。

 

1番最悪なのは、結果すらないやりたくないこと。

 

自分のやることから好きなことをやっていかなきゃ、自分のことは当分好きにはなれない、きっと。

自分を認める軸を自分の中に持ちたい。

 

そして周りの人に感謝を忘れず、時、人との関わり、お金、選択、可能性、何も無駄にはしない。

 

やっぱり、どこにいるかじゃなくて何をするか。

さらに何をするかじゃなくて、何を得るか。

何を得たいのか、何なりたいのか。

 

何かを始める時に、この二つに意識することも大切なんだな。うん。

もうすこし長期計画に耐えうる人間になりたい。笑

 

 本当にただただ考えもなく書き連ねた!また考えてまとめよう。

 

とりあえず

 

昨年お世話になったみなさんありがとうございました!

今年もよろしくお願いします!

 

 

 

 

 

 

 

 

受ける

 

みんなに受ける面白いものなんて、

あるのだろうか。

 

評価の基準も違うのに、

1人も否定する人はいないのか。

 

普遍とか共感は心が動く、面白いにつながる。

新しい、斬新、も面白い。

 

だけどやっぱり人が全員に好かれないのと同じように、全員に好かれるものなんてないんだ。

 

その中でなにをしたいのか。

 

もう世の中には大量のものが溢れていて、新しいものを新たに作る理由なんてどこにもない。

 

それが必要なものなら話は別だが、必要のないものを大量に生産し続ける意味はない。

 

 

 

 

それでもやる意味ってなんだ。

 

 

 

 

私が私しかいないように、みんな1人しかいない。同じ人間なんて1人もいない。

 

そこが人の変化を生む。

人と人の違いが、ものの違いを生み出すはずだ。

 

私にしかできないこと。

謎解きにしかできないこと。

 

作ることはゴールじゃない。

出来たものもゴールじゃない。

 

それを見た人が、体験した人が、どう思うか、なにを感じるか、なにを得るか。

 

感じ方はそれぞれだけど、それが届くことがゴールだ。

 

届けるところまで。手段と目的を履き違えてはいけない。

 

 

・・・・・・・・・・・・・

 

 

自立してもなお集団に所属し、集団の価値観を押し付けられるってなんなんだろな!!!

 

なんかやっぱり日本って同調圧力的なの強いのかな。世界を知らないけど。笑

 

 

 はわあーーー。

 

何か書きたい。

 

と思っていた、いつかのブログ。

書きかけのブログが下書きにたくさん貯まっていたので、放出してみる。

 

 

 

 

 

 

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衝動的に訪れる、"何か書きたい"瞬間。

 

言葉にならない言葉の卵たちが、頭の中を蠢いている。

 

はやくはやく、言葉にしなきゃ。

…そう焦っても、言葉は生まれるものではない。

 

自分に向き合って、言葉の卵たちの声に耳を傾けて、自分の行動を反省して、考え、思い巡らし、やっと言葉になる瞬間。

 

気づくと落ちてくるときもあるけれど、気づくと落ちてくる言葉も、落ちてきてほしいといつかの私が考えた言葉の卵。

 

言葉の卵たちが言葉になる瞬間、私は落ち着きと安心を得るのだ、きっと。

 

そして書き留めたくなる。

それからブログを開いて、思うように書く。

表現が気に入るまで、悩み、気に入れば公開する。

 

公開して、あとは、そのまま。

 

言葉の卵たちが言葉になる瞬間、そしてそれを表現する時間が、私の落ち着きであり、安心なのだと、これを書きながら確認する。

 

でも、今日はまだどこか落ち着かない。

 

ブログを書いているとなぜか、親指に思考力があるのではないかと思う。

何かを考えている頭ではないから。

 

何も考えていないのに、親指が勝手に文字を打ち出している感覚。

 

不思議だけど、言いたいことはこれでもない。

 

最近ずっとこれだ。

 

言葉にならない、もどかしい。言葉が埋もれている。言葉を求めている。言葉、コトバ、ことば…

 

バクが夢を食べるように、私は言葉を食べているんだ。

言葉を食べて、言葉を理解し、言葉を発するんだ。

 

声に出さなきゃ、言葉は溜まっていく。

 

本を読む気が起きないのもそういうことで、今は言葉がもうたくさん溢れているんだ。その中にまた言葉を詰め込んでも仕方ない。言葉を、吐き出したい。

 

でも言葉にするって難しい。

 

何かから生まれた私の考えたちは、私の中でしか通じない神経のようなもので繋がっているのだけど、それを言葉にするには翻訳作業が必要なのだ。

 

でも考えても考えても翻訳作業が、追いつかないどころか、私の考えたちの方向性すら掴めない。せめて問題提起さえしてくれれば、解決の糸口を見つけようとなんとか動き出せるのに。

 

課題解決の最初の一歩は問題発見だ…

課題が見つかれば解決したようなものだみたいなこと言うけど本当にその通りだ。私の課題はまずどこなのだ。

表面的にしか思い付かない。

 

 

表面といえば、

表面ばっかり取り繕って、きれいに見える鉄壁を作り上げている気がする。

でも、人間てそんなもんじゃないか、という自分もいる。

 

そういえば、思い出したけど。

表とか裏とかいう人がいるけれど、そもそもその考えた方自体好きじゃない。

いい面が表で、悪い面が裏。決めつけたかのように、表裏をつける。

 

でもコミュニケーションって、相手との対話で、人やコミュニティが変われば対応が変わると思う。

 

あるコミュニティAでのある人の対応を見た別のコミュニティBの人が、AとBの対応が違うと言って、表だとか裏だとか。

 

普段の対応だって、こっちではツッコミだけど向こうではボケ、みたいなのあるじゃん。それだよ。それでしかないよ。どうして対応が違うと変、みたいな感じ方されるのか。

 

要するに、表裏なんかなくて、相手との関係性や相手のキャパで自分が話す内容や幅も変わるんじゃないかなあって。

 

初対面の人に悪いところ見せる人はいないでしょ。関係の深まりとそういうのは比例する。

 

でもなんでも見せられるのが深い関係とも限らなくて、親しき中にも礼儀ありみたいなもので、深い関係だからこそ言わない方がいいことってあって。ただ、なんでも見せる=深い関係っていう方程式のせいで、深い関係なのに聞かれて言えないことがあると、謎の罪悪感を感じるのだ。正確には、言えないことじゃなくて、言わない方がよいこと、だろうけど。

関係維持には必要なんだけどね。

 

罪悪感が積み重なって、これは本当の自分なのか、って思い始める。

全部本当の自分なのに。

 

これが鉄壁の正体。

 

塗り固められた壁で四方を覆った人は、どこへ向かうのだろう。

本当はすごく最低な自分を偽りながら生きてどうするんだろう。

最低でも、それでもいいよって、そんなわけないのにね。

1つだけいいよがあれば、人生やっていけそうだけどね。

 

いいよと大丈夫は際限なく人間を救う言葉に見える。

 

丸ごとすっぽり覆われても苦しくないお布団がほしい。お布団に潜り込むとすぐ息苦しくなってしまうからさ。潜り込みけど。

 

あとはね、過去ってなんで今に続いているんだろうね、っていう話。

 

今は今でも、過去があると今は今じゃなくなるんだよ、往々にして、今も過去になってしまう。

今は今なのに、今でしかなくて、今が本物なのに。

過去に支配された魔物はきっと過去から動けないから、過去にいるんだろうけどね。

 

はあ。でもなんかすっきりしない。

 

もうずっとこれだよ本当に、、、

 

何を言っても、何を書いても、何を思いついても、すっきりしないんだよ。なんでだよ。

 

そろそろ言葉の限界??

 

言葉以外に何か、思考の卵を外に出す瞬間を作るべきなのか。

 

こんなに書いても何も晴れないの、ね。

まあ晴れる瞬間は書いている時ではなくて、考えている時なんだけど。

 

やっぱり問題提起もなければ、解決もない。

 

でも今の問題提起が見つからない。

 

しあわせ、と、きれい、と、あたたかい、が交互に浮かんでくる世界。

 

あったかい社会がほしい。

 

心がぽかぽかする社会。

 

冷え切った社会じゃなくて、

暖かい社会がいい。

いがみ合う社会じゃなくて、

助け合う社会がいい。

少ない材料、財産を奪い合う社会じゃなくて、

分け合う社会がいい。

 

理想は理想のままで終わってしまうのか。

夢は夢のままでいいのか。

 

いつからか諦めてしまうようになった大きな夢は、制限という自分で決めた足枷にはまって、抜け出せないのだ。でも自分の足枷なんて、すぐに切ってしまうべきだ。

 

やっぱり何を言ってもすっきりしなかった。

 

言葉を超える存在。探そう。

 

もやもやもや。

 とりあえずきみすいよむ。

涙は感情のリセットボタンだと思うから。一旦0になれば、また100入れられるんだ。当たり前だ。

 

取り止めがないけど、おわり。

 

 

 

伝える

 

今ブログを書いていて、ふと思ったこと。

 

ブログとか、自分の考えを書く、話すときに伝わらないことが多くて、ぬんぬんってしてたんだけど、歩きながら、ぴーんってきた。

 

"感性で書いてるからだ!"

 

こう書くとかっこいいみたいだけど、ちゃんと伝わる、人に向けた文章というのは、論理的に、事実に基づいて書かれているなと。

 

感じたことを言語化しただけで伝わるなんて、私が2人いないと無理だって思った。

 

でもそれはそれできっと私にしかできないことだし、伝わる文章を書く力は必要だけど、伝わらないのは伝わらないで、自分って感じがする。

 

これからも、ブログは感性で書く!(笑)

それなりな不満。

 

授業を受けていて、

ふと思った。

 

"ああ、受身だ"

 

自分で選択した、それなりに面白い授業。

 

いつもふらっと来て、

ふらっと話を聞いて、

少しだけ耳に届いて、

少しだけ心に残って、

ノートを取ってみる、

帰りに板書を撮って、

明日にはリセット!

 

なんとなく何かを得た気になって、

なんとなく満足してる。

 

薄っぺらい満足感をたくさん集めて、満足した気になってる。

 

不満はないのだし、いいではないか。

つまらない授業を受けさせられるよりはるかにいい。

 

まあ、それはそうだけど。

 

"ある程度の不満とか不足感がないと、受身になって堕落するんだな"

 

与えられたものから選択する。

 

受けているのは大学の"授業"なわけで、

それなりに話を聞いていれば、それなりに何か得られる。

 

でもこれって、たなぼたみたいなもんで、偶然引っかかるものがあった、というだけでしかない。

 

本当は求めるものを最大限求める。そのために利用する、というのが大学なんだろうな。

大学に限らずだけど。

 

私の求めるものってなんだろな。

 

今の選択、間違えちゃいけない。

 

ここで求めるか、別で求めるか、両方求めるか。

 

ちゃんと調べて、ちゃんと考えて、後悔しない方を選択しよう。

やってみなくちゃわかんないし。