誰の言うことを聞けばいい?
たくさんの人といると疲れる。
だから集団行動はいつも苦手。
2人なら、相手のことを知って、
相手に寄り添った行動ができる。
それを望まれてるからするというより、その方が自分が落ち着くからしてる。
相手が、「私に私らしくいてほしい」と望むならたぶんわがままも言う。
私の意思は限りなく透明だ。
3人くらいも、まあ大丈夫。
ちゃんと3人で盛り上がれる話題を用意する。
勝手に内輪話を持ち込まない。たまに持ち込んでも、ちゃんと前後関係がわかるようにフォローする。
4人は4人で、その方が楽だったりする。
2:2に分かれてしまえば、結局は2人なのだ。
でも、もっともっと人がいたとき、
全員の要望を汲み取って、まとめるのは容易ではない。
いやまあ、みんなが同じ行動をするのなら、まだいい。
ただ仕事とかで、同じ現場にいつつも、別の仕事をしたりするときに、どの範囲の人のことまで考えるべきかを悩む。いや、うーん、悩むというか、つねに同じ空間にいる人全員に気遣いしなきゃと虚勢をはっているので、思いっきり疲れてしまう。危ない。
みんな、いろんな方面で、いろんな要望を抱えている。それは悪いことじゃない。受け止め方の問題だ。
ただの愚痴が愚痴に聞こえない。
遠回しに自分への注意に聞こえる。
ただの雑談が雑談に聞こえない。
こういう風に対応してほしい、という要望に聞こえる。
それでも気遣いができる人のそばにいると、もっとできるようにならなければ、と、ない力を振り絞ってしまう。
今年は頑張らないと決めたのに。
気がついたら、奥歯を噛み締めている。
こんなつもりじゃなかった。
楽しいけれど、ふと1人になって気が抜けた瞬間につらい気持ちがやってくる。
そうして思い出す、忘れていたことを。
まだまだ、私の心はちゃんと不安定で、
かりそめの安定に刺激をプラスして、慣れようとしているところなのだから、
かりそめを保つだけの習慣は怠ってはいけない。
そして、身体にしたがって、休むことをサボらないようにしないといけない。
毎日死にたいと思う世界が間違いだったと思いたいし、死にたいと思うことはちゃんと異常のサインだと受け止めたい。
あああああ。
それでも毎日、あーすればよかった、あれしなきゃよかった、こんなことしてばかだ、とモヤばかりが蓄積している。
少しやっぱり苦しいから、早く私の安心材料が届いてくれるといいな。今週末まで我慢。できない。ぬう