「大丈夫」が空滑りする
さすがに落ち着いたらどうかと思う。
この世界が全部本物なのか心配になってきた。
今ある幸せはちゃんと自分のものなのだろうか。
いつか全部「うっそでっした♡」ってなるやつじゃないのか。
疑いはじめると、心配というやつは、大好物の餌を得たように、大きく膨らんでいく。
不安が不安を呼んできている。
類は友を呼ぶというが、類が類を呼んでいる。
心の奥底で、この心地よいぬるま湯に自分を沈めていいのか、迷ってきている。
いつまであるかわからないぬるま湯。
栓が抜かれてしまったら、凍えて死ぬかもしれない。
だからといって今をどうこうするわけでもなく、ぬるま湯に片足をつけて、存在を確かめて、それから全身を委ねている。
いきなり全てを預けすぎてしまっただろうか。
突然福祉って言われると、申し込んでる側はこっちなのに、心の準備が整っていない感じがする。
まだそのカテゴリーに入れられたくはないと、どこかのわたしが差別的なことを思っている。
でも現実問題、お金がないから、そういうサービスを受けるほかない。
3分の1になった社会保険費をみて、戻れないような、戻りたくないような感傷に浸る。
これから3分の1になる通院費をみて、いよいよ戻れないことを実感するのだろうか。
本当は戻れることも知ってるんだ。
少しだけ、少し頑張ればいい。
それでも怖い怖いと逃げている。
やさしいいろんな人の善意に甘えて、現実を遠ざけるのか、生半可な覚悟を抱えて現実で揉みくちゃにされればいいのか。
甘えたがりの人間が、得てはいけないチケットを得てしまったようだ。
やっぱり、立ち止まってはいけなかったんじゃないか、と思う反面、あの場面でどう立っていればいいかわからなかったのも事実。
耳から流れてくる規則的で不規則なメロディーだけは、現実だと信じられる。
自分を宥める言葉が少なすぎるのかもしれない。