客観と主観のサンドイッチ
やんわりと感じ取ってしまった客観を否定するだけの主観もなければ
主観を証明する客観もないわけである
誰かにわかってもらうために
主観を可視化しないといけない
でも見えるようにしたそれを見せるには
あまりにも現実が浮世離れしすぎている
笑顔と軽口で守ってきたものが
主観以上の重量をもって伝わってしまう
質感や温度感を伝えるのは難しい
過度に考えられすぎたり
逆に甘くみられたりする
そんなの気にしなければいい
たったその一言で解決する話なら、ここまで糸を絡ませていない
どうしても抑え切れなくて結んでしまったものもある
半ば事故のように結ばれてしまったものもある
そもそも真っ直ぐ糸巻きに巻かれていた糸ではないのだ
誰かに納得されたり、理解されたりするために生きているわけじゃない
それでも誤解に耐えられるほど強くもない
全部話して、わかってほしいわけじゃないけどって、それこそが強がりで、本当はわかってもらいたいのかもしれない
でも誰に、どうやって伝えたらいいのか、わからない
絡まった糸に巻き付けられて身動きの取れなくなったところと、いろんな糸が絡んで楽しく見えるところがあるんだ
それって、あまりにも普通のことで、グラデーションや程度という言葉で説明するには、とてもおぼつかない
こんなことなら、不謹慎な考えを浮かべては、頭を横にふっている
説明可能な状態ほど振り切れていて、振り切れているからこそ説明不可能なのかな
それともやっぱり言語と非言語の間で思考の糸が蠢いているだけなのかな
誰か私に、説明可能な言葉を与えてほしい
端的で、みんなが理解できて、それでいて、正しくわかってくれるような
重く考えすぎなのは私かもしれない
半信半疑なのも私かもしれない
認めたくないのも私かもしれない
本当のことを言いたい気持ちと
それが周囲の人に与える影響の予測
傾く天秤がどちらであれ
その先は誰にもわからない
私の覚悟次第なんだよって、私はちゃんと私に教えてあげたのかな